八、葛藤

森晃一のあれこれ

一、広州

二、美容室

三、二度目に挑戦した美容室

四、日本人美容師

五、転機・濱島一二(はましま・かずじ)

六、航海

七、濱島氏との出会い

多くの人間がそうであるように、濱島という人間もまた、堕落した人生の一期間を過ごしている。

大学受験に失敗した濱島は、地元岡崎でアルバイトをしながら浪人生活を送っていた。

しかし浪人とは名ばかりで、本業の勉強はまったくしなかった。

代わりに、情熱を注いだのはパチンコと麻雀だった。

太陽が上りきった午後に眼を覚まし、もそもそと布団から這い出ると、そのままパチンコ屋か雀荘に行く。

勝つ日もあれば、もちろん負ける日もあった。

月に稼いだバイト代が全部なくなることもしょっちゅうだった。

それでも生活費だけは、律儀に家に入れていたところを見ると、母親にだけは絶対に迷惑をかけたくないという思いがあったからだろう。

《大学に出たところで俺の人生はどうなるんだろう。何のために大学へ行くんだろう。それにいつまでこんな生活を続けるんだ》

いつもこんなことを考えながら過ごしていた。一日は長かったが、歳月が経つのは恐ろしく早かった。

何とかしなくちゃいけない、と考えているものの、明確な答えはなかなか見つからなかった。

そして結局、一万円札を握りしめてふらふらとギャンブル場へと向かう。

まるでラットレースのような、ぐるぐると同じような毎日の繰り返しだった。

《走れるだけ、まだネズミのほうがましじゃないか。おれはまだ走ることさえしていない》

ある日、母親はそんな息子の様子に見兼ねて、こういった。

「大学へ行っても、行かなくても、私はどちらでもいいんだよ」

この母親の一言で決心がついた。

《おふくろは、てっきり私を大学へ進ませたいとばかり考えていました。裏を返せば、「さっさと働きに出ろ」ということだったのかもしれません。おふくろの一言がなければ、二年、三年と同じようにずるずると時間を無駄にしていたことでしょう。私は結局、大学受験を諦めることにしました》

浪人生活に別れを告げたことで、頭のなかに渦巻いていた葛藤が消えた。

自分の歩み行く将来を、自分で決めることができる。

それはまるで、スタートラインに立ったときのような、自信と不安が入り混じったような不思議な感覚だった。

何か仕事に就こう、そう思って最初に頭に浮かんできたのは、華やかなアパレル業界での仕事だった。

学生時代にアルバイトで紳士服をやっていたことも理由のひとつだったが、何より洋服やおしゃれに興味があった。

それに、どうしてもサラリーマンをやっている自分という姿を、頭の中でうまく描けなかった。

どうせ仕事をするのなら、好きな職業に就こうと決めたのだ。

しかし、時代が悪かった。一九七八年に起こったイラン革命を機に、イラン国内での石油生産が中断。

イランから一日辺り八十八万バレルという大量の石油を輸入していた日本は、原油供給が逼迫し物価が高騰していた。

いわゆる第二次オイルショックである。当然ながら、繊維や織物が主役のアパレル産業も、オイルショックの余波を受けていた。

リストラを押し進める企業が圧倒的に多い時代のなかで、新たに社員を雇用しようという物珍しい会社は実に稀だったとも言える。

濱島は単身で名古屋に行った。

もちろん職探しのためである。

一社めは当然のように面接で落とされた。

濱島と同じ若い世代で人気のショップだった。

不採用の理由は告げられなかった。

自分もこの店で働くんだ、とばかりに意気込んでいただけに、さすがにショッックを隠せなかった。

社会に出た瞬間、いきなり出鼻を挫かれたのだ。そこで濱島は作戦を練ることにした。

学歴も経歴もない、どこの馬の骨だか知れない人間を採用してもらうにはどうすればいいのだろうか、と。

《これは一筋縄ではいかないな》

正直な感想だった。

《自分という人間を証明してくれる人が必要だ》

そこで、学生時代にお世話になったアルバイト先の社長に相談を持ちかけた。

社長は電話口で、「わかりました。どこか働き手を探している会社がないか、つてをあたってみましょう」と快く相談を引き受けてくれた。

数日後、大阪に本社を持つM会社が面接してくれることになった。

これが見事に採用となり、二度めのチャンスでアパレル業界の扉を開くことができたのである。

会社を紹介してくれた社長に、何度も礼をいった。

晴れて念願のアパレル業界で働くこととなった濱島だったが、やはり不況という時代に変わりなく、このままで良いのだろうかと不安に思う毎日を過ごしていた。

アパレル業界では、レディースはそこそこの売り上げをキープしていたものの、濱島が担当していた紳士服のほうはまったくだった。

この業界で働きたいとばかり考えていたものの、まったくその先のことを考えていなかった。

そのようにして一年が過ぎ、気がつけば、二〇歳になっていた。