三、二度めに挑戦した美容室

森晃一のあれこれ

一、広州

二、美容室

髪の毛とは、己の意思とは関係なく、間断なく伸び続けるもの。

故に、定期的に髪の毛にハサミを入れなくてはならない。

中国で二度めに訪れた美容室は、前回の失敗経験を踏まえて慎重に選んだ。

今度はデパートの地下にある小綺麗な店だった。

客もそこそこ入っていて、それ以上にスタッフの数も多かった。

見るかぎりでは、安心できそうな店だった。

中国の美容室では、若手から中級、高級といった具合に、美容師のグレードに差をつけている。それに比例して値段も高くなるシステムだ。

私は上のグレードから二番めの美容師を指名した。

それでも百元前後の値段だったので、日本に比べると遥かに安いといえるだろう。

裏を返せば、値段の安い美容師を選んだばかりに、変な髪型になっても責任は取りませんよ、というような不文律が存在するのかも知れない。

昔、遠藤という美容師の友人と、中国のローカル美容室で髪を切ろうということになったことがある。

私は高級技師、遠藤は懐具合を気にしてか、わずか三〇元(約450円)の若手技師を指名した(遠藤はいつも金に困っていたのだ)。

正直なところ、大丈夫なのかな、と私は彼の代わりに心配になったことを覚えている。

「大丈夫だよ、中国の美容師さんも、日本の美容師に負けて劣らず、みんな技術は持っているものだよ」彼はそう言った。

ふーん、案外そういうもんなんだ、と私は妙に納得してしまった。

そんな遠藤だが、彼はどこに行っても、居眠りをする癖があった。

その時も例に漏れず、カット中にゆらゆらと頭を揺らさせながら遠藤は眠りこけていた。

そして目を覚ましたときには、既にカットも終わり、鏡で虎刈りになった自分の頭を見て唖然としていた。

遠藤は翌日出勤すると、上司に呼び止められ、「美容師のお前ががそんな頭でどうするんだ!」と大目玉を食らったそうだ。

つまり、三〇元という値段相応の、誰しもが認める虎刈りだったのだ。

話しを戻す。

お金を武器に、私は二度めに訪れた店で、高級技師という安心を買った。

そして指名した美容師は、私が日本人だと知ると、むかし東京のサロンで勉強したことがあるんですよと、カタコトの日本語でいった。私が選んだ美容師に間違いはなかったようだった。

カット技術は、日本の美容師と何ら遜色がないように思えた。

なぜなら、私が日本で体験していた技術に思えたからだ。

私もついつい調子に乗り、「その技術は、確かに日本の技術ですね」なんて言葉を口にしていた。

バリカンを使わせても、手練の早業ともいえる手付きで、ジャッジャッと髪の毛を剃り落していく。

その流れがあまりにも自然だったので、私は感心した面持ちで見入っていた。

そして、その美容師は、自然すぎるくらい自然な動作で、私のモミアゲを全て刈り取ってしまった。

アッ、と口に出したときには既に遅かった。そして見事なテクノカットが出来上がっていた。

テクノカットといえば、八〇年代に流行ったやつだ。

その名前は聞いたことがあったが、まさか自分がテクノになってしまうとは考えもしなかった。

どうせなら「テクノしますか?」と事前に訊いて欲しかった。

もし訊かれたら、「テクノはしません」ときっぱり言えたのだ。

美容師は東京のサロンで勉強したことがあると言っていた。

しかし、その東京のサロンでは、モミアゲは大事だと教わらなかったのだろうか。

 
どちらにせよ、私のモミアゲは奇麗さっぱり消失していた。

店を出るとき、美容師は私に何か言っていた。

たぶん「ナニカモンダイデモ?」と言っていたのだろう。

私は「ダイモンダイナンデス」と日本語で呟きながら、そそくさと店を後にした。