困難や危険を恐れない心、すなわち勇気。
人は誰しも、勇気を持ちたいと望んでいる。勇気さえあれば、自ずと道は開けるかもしれない。
しかしまた、最初の一歩がなかなか踏み出せないのが現実でもある。
しかし、最初の一歩を踏み出すことをためらう人が、こんなにも多いのはなぜだろう?
それは、不確かな先の人生が、決して楽なものではないと、過去の経験が告げているからだ。
しかしまた、不確かな先の人生を進むことでしか開けない道もある。
勇気と不安を天秤にかけ、勇気に傾斜を深めたときにこそ、初めてより人間的な高みへと成長していくことができるのかもしれない。
我々が、濱島氏の人生から学ぶものがあるとすれば、それはまさに「勇気」という一言に尽きるであろう。
二千一〇年。濱島は、東奔西走する日々を送っていた。
五十四歳になっていた。
日本と中国を行き来きし、月の半分を中国で過ごし、慌ただしく日本にとんぼ返りをする。
そして合間を縫ってセミナーの講師も担当していた。
休日と呼べるようなものはなかったに等しい。
濱島の身体は既に悲鳴を上げていた。
そんな様子を近くで見守っていたのが濱島の妻だった。
「あんた、いつまでそんな生活をするつもりなの? そんなの絶対無理に決まってるじゃない」と、普段は干渉しない妻も、ついに業を煮やした。
体力的な衰えを感じていた濱島は「もう中国には行かない」と妻に伝えた。
すると、「あんたって本当に不器用ね。店は私が見ててあげるから、本腰入れて中国に行ってきなさいよ」と半ば強制的に濱島を中国に送り出したのである。
《とまあ、こんな具合で中国に来る羽目になっちゃいましてね。でも、結果的には良かったんですよ。かみさんの後押しがなきゃ、今の私はありませんから……》
そのようにして本格的に中国に渡った濱島だったが、最初の頃は苦労の連続であったという。
当時、セミナーの講師を担っていた濱島は、河北省やら福建省などの各地方都市を、スタッフを連れて飛び回っていた。
いったん学校やら山荘に着くと、慌ただしくセミナーを開き、終わったかと思うと、次の都市へと移動する。
疲労は溜まる一方で、気の休まる暇もなかった。
それはまるで、売れっ子歌手のツアーコンサートのような相貌を呈していたが、事実上は、知名度を上げるために行う地方営業のようなものにすぎなかった。
しかも中国で無名に近かった濱島たちに入ってくる金は、雀の涙にも満たない微々たるものだった。当然、会社の経営は良いとは言えない。
そして一年が経ったころ、会社から突然、濱島に解雇通知が渡された。無情にも紙切れ一枚だった。
濱島は日本を出るとき、名古屋で二店舗の美容室を経営していた。
実際には、濱島が一店舗、そして濱島の妻が一店舗という具合だったが、日本を出てくるとき、店の経営権はすべて妻に譲渡していた。
そのため、のこのこと今更日本へ帰るという気にはなれなかった。いや、むしろ帰る場所が無かったというほうが正しい。
《中国で新たに職探しをする必要がある》
体勢を立て直すため、いったん日本へ戻ることにした。
しかし、日本へ戻ると同時に、拍車をかけるように不運な出来事が重なる。
濱島の携帯に中国から国際電話がかかってきた。
電話に出ると、つい先日まで住んでいたマンションの大家からだった。
いったん日本へ引き返したものの、すぐ戻ってくるつもりだったので、大家には何も告げていなかった。
大家の声の感じからすると、ただ事ではない様子が伝わってくる。
中国語であったため、すべてを理解することは出来なかったが、聞き取れた単語を要約すると、つまりは「家賃を払ってくれ」ということらしかった。
濱島にとって、これは寝耳に水だった。
なぜなら、家賃はすべてエージェントに任せていたからだ。
大家がいうには、そのエージェントと連絡が取れなくなっており、未払い分の家賃は三カ月分だと言う。
「中国に戻り次第、すぐに払いますから、荷物は捨てないでください」濱島が言うと、大家はやっと理解を示してくれたようだった。
支払われているはずの家賃が払われていない。
まったく訳がわからなかったが、大家の話しからすると、どうやらそういうことらしい。
すぐに中国にいるエージェントに電話してみたが、電話はいっこうに繋がる気配がなかった。
またすぐにでも中国へ戻る必要がありそうだった。
濱島は妻に、「向こうで仕事を探してどうにか頑張るつもりだ。とりあえず、三カ月で目処が立たなかったら、日本に帰ってくるよ」と言った。
すると妻は、語調を強めて「帰ってこなくていいから、死ぬ物狂いでやりなさい。あんたが帰ってきても、もう居場所なんてないんだからね」と情け容赦なく濱島に言い放ったのだ。
実際、濱島の妻からしてみれば、この言葉に冗談は含まれていなかった。
濱島は中国で一年間、セミナー活動で地方を忙しく動き回っているあいだ、妻は妻で、美容室を二店舗同時に見なくてはならなかった。
そうこうするうちに、片方の店の経営状況が悪化し、そのまま店を閉めてしまったのだ。
濱島も馬鹿ではない。
自分の帰る場所がないことは百も承知だった。
それでも確約のない先の将来を考えると、一抹の不安がちらちらと顔を覗かせた。
五十五という年齢を考えると余計に暗澹たる気持ちになった。
しかし、妻に《死に物狂いでやりなさい》と念を押されたことで、甘えに似た気持ちは、どこかへ吹き飛んでいた。
これが濱島という人間に、ひとつの筋金が入る契機となり、また、自分の生き方を決定づける強烈な一撃となった。
《ゼロからの再出発。逃げ道はどこにもない。自分を信じて、前に進むしか術は無さそうだ》
それはまるで、退路を絶たれた兵隊のようであった。