お気軽にお問い合わせください

ここから

十二、濱島再び中国へ

森晃一のあれこれ

一、広州

二、美容室

三、二度目に挑戦した美容室

四、日本人美容師

五、転機・濱島一二(はましま・かずじ)

六、航海

七、濱島氏との出会い

八、葛藤

九、機は熟す

十、新たなスタート

十一、勇気

二千十一年、七月十四日。

気温三十二度。

夏の空が広がっている。

濱島は再び中国広州の土地を踏んだ。
空港に着くと、その足で大家の元に向かった。

意図せず滞納していたらしい三カ月分の家賃を払いに行くためだった。

大家は依然としてエージェントと連絡の取れない濱島を憂慮したが、金を受け取ると、満足そうな様子だった。

無論、濱島にしてみても、エージェントの件は心配事のひとつであったが、今は家賃滞納の真相探しより、すぐにでも仕事を見つける必要があった。

なにより、濱島には金がなかったのだ。

航空代金に旅行保険、それに家賃を払ってしまうと、手元には数万円しか残らなかった。

このわずかな金で、数カ月をやりくりしなくてはならない。

そう考えると、やはり一日でも早く仕事を探すことの方が先決であった。

濱島は落ち着く暇もなく、すぐに職探しを始めた。

面接してくれそうな美容室を、数日かけて何件も廻った。

そのなかでひとりの人物が濱島に興味を持ってくれた。

その人物は、以前広州でセミナー活動をしていたときにお世話になっていたフィリピン人のマネージャーだった。

「今度フィットネスクラブの一画にサロンを作るんです。濱島さんさえよければ、そこで働いてみませんか?」

ありがたい申し出だったが、濱島は即断することができなかった。

理由は、出店する場所にあった。

何しろその場所は、まったく日本人が住んでいないような地域だったからだ。

たとえ新しく店が出来たとしても、来店する客はほぼ中国人と相場が決まっている。

それに、もし店で働くようになったとしても、通訳は付けてくれる訳ではなさそうだった。

そんな状況下で、中国人客を相手に、自分はどこまでできるのだろうか。

しかも、提示された給与は五千元に満たなかった。

マンションの家賃三千元を差し引くと、わずか二、三万で一カ月を暮らさなければならない。

これは、さすがに断るほかなかった。

濱島が最終的に職を得たのは、広州市の中心地にあるシナジーという店だった。

日系の店ではなかったが、場所は悪くなかった。

なぜなら、その地域は、日本人が一番多く住んでいる場所だったからだ。

《最初は大変だろうけど、ここなら何とかやっていけそうだ》

初の出勤日は、八月二日ということで決まった。

すぐにでも働きたかったが、会社に文句はいえなかった。

決まったことは決まったことなのだ。であれば、働き始めるまでのあいだ、やらなくてはいけないことがある。

それは、以前お世話になった人たちへの挨拶廻りをすることだった。

広州で友人や知り合いは決して多いとは言えなかったが、それでも一人ひとりの家に向かい、「帰ってきました」と挨拶に出かけた。

そして挨拶代わりに髪をカットすると、みんな喜んでくれた。

金にはならなかったが、みんな笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。

それは、美容師として一番嬉しい瞬間でもあり、どこか忘れていた感情でもあった。

新しい店で働き始めると、案の定、最初はなかなか客が付かなかった。

これはある程度予想できたことだったが、ほとんど売り上げがあがらない濱島にとっては、やはり精神的にきつかった。

とりわけ、自分の給料に響いてくるのが痛かったのだ。

九月十日。

濱島が店で働きだして、最初の給料日がやってきた。

しかし、その金で家賃を払ってしまうと、後には何も残らなかった。

仕方なく、店に三千元を前借りすることにした。

「濱島さんもお客さんが増えてきたし、まあ来月からは何とかなるでしょう」

店の店長は、そういうと、快く金を貸してくれた。

事実、濱島も手応えを感じていた。

店で働き始め、一カ月も過ぎる頃には、徐々に客が増え始めていたのだ。

しかし、客が増えた背景には、濱島の友人による支えが大きい。

濱島が広州に着いたばかりの頃、挨拶廻りにでかけた友人たちが、

《濱島さんが広州に戻ってきたぞ。みんな濱島さんのところに行こう》

そうやって、濱島が見えないところで、友人たちが一生懸命営に、周りの知人に営業活動をしてくれていたのだ。

しかし、濱島が店で前借りした金は、決して十分といえる金額ではなかった。

日本円にしてわずか約六万円にしか過ぎないのだ。

最後には所持金がたったの二元になってしまった。

九月七日のこと。

《今になっても、あの時の事はよく覚えています。給料日の三日前のことです。財布の中を覗くと、たった二元しかないんです。昔からよく貧乏はしていましたけど、まさか五十五歳になってもそんな生活を経験するとは思いませんでした。そんな時に、「濱島さんどうしてるの? 夜御飯でも一緒にたべよう」と知人から電話がかかってきたんです。その人はたまたま出張で広州に来てたんですね。それで事情を察してくれたのか、毎日のように御飯を御馳走してくれました》