私は濱島氏との取材を進めていくうちに、まるで彼自信の人生に紛れ込んでしまったかのような不思議な錯覚に陥ってしまった。
学生時代のエピソードから美容師を目指したきっかけ、経営難の美容室で悪戦苦闘する日々、そして妻との会話のやりとりまで、そんな濱島氏の細部の記憶が、映像となって頭のなかに流れ込んでくる。
彼自身の軌跡を疑似体験しているような感覚だった。
もし私が五〇を過ぎ、ゼロからたった独りで異国の地へ赴かなければならない状況がやってきたとしたら、果たして自分にどういう決断を下すのだろう?
決断を先延ばしにしてそのまま逃げ出すのだろうか?
それとも己の不安に打ち勝ち、笑って前を向いて突き進むことができるのだろうか?
これは非常に難しい問題だ。一世一代の決断、乾坤一擲の勝負と言ってもいいだろう。
濱島氏はこう檄を飛ばす。
「自分の置かれている立場で悩んでいる人、またこの先どうしたらいいだろうかと不安に思っている人。そういう気持ちがある人は、とりあえず羽ばたいてみなさい」
勇気はすべてを切り開く力がある。
そしてその先には、必ず困難が付きまとう。
しかしその困難があるからこそ、人は一段と強くなり、また成長することができるのだ。
「大変な経験をしている人と、そうでない人のあいだには、人間として明らかに違うものが存在します。大変な経験をしている人は、人間の奥深さのような不思議な魅力が備わるんですね。少なくとも私はそのような人間になりたいと思っています」
濱島氏が中国に腰を据えて、今年で丸五年が経つ。
今では、誰もが知る、超人気の美容師だ。
恐らく広州のなかで一番知名度が高いのではないだろうか。
取材中、濱島氏の元に度々予約の電話が入った。
その度に席を外し、電話の対応をする濱島氏の姿が思い出される。
しかも客は日本人だけではなく、中国人も多いようで、六〇歳にもなる濱島氏が、しっかりと中国語で予約を取る姿は、なんだか胸に響くものがあった。
しかし、五年も中国に住めば、誰でも自然と中国語を喋れるだろう、などと安易に考えないでほしい。
なぜなら、五年、十年と経っても、喋れない人間は一向に喋れないのだ。
そこには、少なからず本人の努力が隠されている。
勉強しないことには、絶対に中国語は喋れない、と言っても過言ではない。
私の場合は、幸いにも中国に来て一年経った時点で、その事実に気付いたことである。
自然と言葉が覚えられるだろうなどという甘い考えはすぐ消えた。
むしろ、中国に来て一年が経ち、まったくコミュニケーションが取れない事実に愕然としたものだ。
濱島氏自身は、中国語は全然喋れないんです、と私に言う。
しかし、それは謙遜だろう。
少なからず、私の過去の苦い経験がはっきりと、そう告げている。
濱島氏をよく知る人物に話しを訊いたことがある。
林さんといって、二十五年も日本を離れて中国で暮らしているような人で、濱島氏の一番気心が知れた友人だという。
「濱島さんの仕事に対する姿勢は、素晴らしいものがあります。簡単に言うと、素直で真面目なんです。それに、今の歳になっても、貪欲に新しい知識を吸収しようとする姿勢は尊敬に値します」
林さんが話す通り、実際、濱島氏の知識の多さには、凡夫とは一線を画する、秀でた知悉のような節さえ感じられる。
とりわけ、健康に関する分野での造詣は深い。
パワーストーンが人体に及ばす影響に始まり、生命エネルギーの中枢であるチャクラの関係、塩と水の関係性、皮膚の構造にいたるまで、美容師の域を超えた博学多識とも呼べる知識の数々は、敬服の念を抱かずにはいられない。
林さんは言う。
「濱島さんも、中国に来た当初は大変だったと思います。精神的にもきつかったんじゃないでしょうか。それでも、着実に現状できるすべてのことやった。そうやってご自分で足許を固められたんだと思います。正直すごい男だと思いますよ」
私が濱島氏に対して最初に抱いた印象は、年相応の年齢を感じさせない、若者特有のエネルギッシュさのようなものだった。
そして、その不思議なオーラの源はどこにあるのだろうかと、取材中、私はずっと答えを探し求めていた。
私は濱島氏が歩んできた人生に、そっと耳を傾けるうちに、彼の人生に触れ、そして彼の人生を疑似体験することで、少なからずその答えが見つかったような気がした。
それは、「彼はまだ青春の途中にいるのかもしれない」ということだった。
青春とは、ある一時期、また若い時期だけを指すのではない。
そしてただ年齢を重ねることが老いでもない。
夢や人生の目標を忘れ、自分の人生に背を向けたときに、初めて老いが始まるのだ。
「私はね、今という時間がめちゃくちゃ楽しいんです。人生ってこんなに楽しいのか、っていうぐらい楽しいんです。私の場合は、五〇を過ぎてから中国に来たわけなんですけど、中国に来たおかげで、自分が二〇代や三〇代にやっていたクリエイティブな感情を思い起こすことができました。つまり、自分が若いころに持っていたワクワクする感じですね。もちろん、日本にいてもその感情を忘れずにいられるのかも知れないですが、ただ残念ながら長続きしない人が多いのではないかと思います。実に私の場合がそうでした。自分のサロンを持って、経営に専念する。もちろん、自分も第一線で頑張るんですけど、次第に年齢を重ねてくると、お客さんはほとんど固定客になってくる。何年もそんな具合でやっていると、なんというか、そんな状況が当たり前という感覚になってくるんですね。でもそれが中国に来て、新しいお客さんと接し、ましてや外国のお客さんをカットしたりするわけです。センスも違えば、もちろん考え方も違います。そんな未知のお客さんに対して、どうやって喜んで帰ってもらおうか考えたりするわけです。私が中国に来て一番良かったことは、若かりしころの自分の姿を思い起こせたことです」
濱島氏はまさに青春の真っ只中にいるようだった。
むしろ少年のようでさえあった。
取材は三時間という長丁場だった。
取材を終え、ハット帽を脱いだときに見せた、まるで少年のような茶目っ気のある笑顔が、濱島氏のすべてを物語っていた。