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十四、これから

森晃一のあれこれ

一、広州

二、美容室

三、二度目に挑戦した美容室

四、日本人美容師

五、転機・濱島一二(はましま・かずじ)

六、航海

七、濱島氏との出会い

八、葛藤

九、機は熟す

十、新たなスタート

十一、勇気

十二、濱島再び中国へ

十三、青春

美容業界も時代とともに変遷している。

過剰な店舗数増加、熾烈な低価格競争、客数減少などの理由により、業界全体、ひいては個人の利益減少に歯止めがかからない。

日本における美容市場は約二兆数千億円と言われており、その市場では約七十二万人(理容師を含む)の美容師たちが働いている。

その美容師たち数人に、「今の美容業界についてどう思いますか?」と質問を投げたところ、ほとんどの美容師が、「先行き不安を覚える」というような回答した。

一人ひとりに詳しく話しを訊いてみると、主な不安の要因は、生活苦に起因していることがわかった。

仮に店長クラスになったとしても、二十五万前後の給料しかもらえず、その金を一生懸命貯めて、やっと自分の店を持って独立したとしても、他の店との競争に勝ち続けなければならないのだという。

そんなことは常識だと言う人がいるかもしれないが、現実は想像以上に厳しい。

中国では、ひと月に五〇万、百万という給料を手にする美容師も数多く存在する。

私は職業柄、カメラ片手に街頭に立ち、街角スナップ的なことをしなければならないときがあるのだが、ある美容師から話しを聞いたとき、日本で働く美容師を不憫が思えて仕方がなかった。

その日は、街のおしゃれさんを探し、二、三カットを写真に収め、簡単なインタビューをするということをしていた。

そして、日本の原宿にいそうな、典型的なおしゃれの青年をつかまえ、写真を撮り、インタビューを始めたところ、私は度肝を抜かれてしまった。

その青年は、年齢は三○で、職業は美容師だと言う。

洋服代にかける費用は? と質問したところ、その青年は、二万から三万元だと言ったのだ。私は思わず耳を疑ってしまった。

三○~五○万円という大金を、洋服代に使っているのである。

つまり、それ以上の金額を美容師という職で稼いでいるという計算になる。

美容師がそんなに稼げる訳がない、という疑心の感情と、日本で働く美容師の姿を重ねてしまったことを覚えている。

私が驚いた様子でいると、その青年は、「ここから店、近いんで良かったら美容室を見ていきます?」と自信満々の様子だったのが印象的だった。

もちろん、今回、街で偶然出会った中国人美容師にしても、人並みの勉強や相応の努力はあったのかも知れない。

けれども、日本人美容師との、あまりにもかけ離れた差は、いったい何なのだろう? そう考えたとき、ある大きな問題が隠されていた。

それは客の絶対数が日本と中国では明らかに違いすぎるということだ。

財務省が二千十五年に発表したデータによると、九十五年に八千七百十七万人にいた国内の生産年齢人口は、この二〇年で七千六百八十二万人とおよそ一千万人も減少している。

 さらに五〇年後には四千百十三万人になるという試算まで出ている。

これは美容業界に限ったことではないが、生産年齢人口と比例する顧客の絶対数が減り続けているという問題は軽視できない。

さらに美容業界の低迷に拍車をかけているのが、美容所数の増加だ。理容室の数は毎年ほぼ横ばいで推移しているのに対し、美容室の数はここ二〇年で約四万店も増加している。

つまるところ、日本の美容師たちはこの現状をみんな知っていて、この先、更なる過酷な競争に勝ち残っていかなくてはならないという重い現実があるいうことだ。

美容師たちはその状況を知っているが故に、先行きの不安を隠せないでいる。

今回、中国で働く美容師、濱島氏を記事にして紹介したのには、それなりの理由があってのことだ。

私の友人である遠藤大輔は、日本にいる美容師たちの凝り固まった信念やら方向性、あるいは生き方など、そういうものを消し去りたいと、折に触れて私に話しをしていた。

美容師の道は必ずしもひとつではないのだと……。

しかし、結局のところ、あれやこれやと自問自答を繰り返し、最終的にその答えを出すのは、他人ではなく、本人でしかないことは紛れもない事実のようである。

私は美容師でもなければ、美容の専門家でもない。

それ故に、将来の不安を抱える美容師に、こうすればいい、ああすればいい、と言うような偉そうな答えや教えを啓示することはできない。

ましてや道しるべを作るようなこともできない。

私にできることと言えば、「ああ、こんな人生もあるんだな」と、他人の人生を、少しばかり紹介するくらいが関の山なのである。

だが、本音を少し言えば、「海外で働くのも刺激的で面白そうだな」とか「違う生き方もあるのか」などと、少しでも感じていただければ、私としてはこれに勝る喜びはない。

Profile 森晃一(もり・こういち)

1982年、香川県生まれ。日本大学法学部卒業後、プログラマー・システムエンジニアを経て、2014年8月から生活情報雑誌の編集記者に。16年9月より編集長に就任。人間の思考や感情の謎を解くため、日々ヒューマンインタビューを重ねる。中国滞在6年目。趣味は読書と執筆、ときどきスケートボード。