大工、ペンキ屋、個人商店、歌舞伎と職業はいろいろあるが、親のもつ職業を子が継ぐケースは、世の中に割と多く存在する。
無論、子どもにしてみれば、親の職業を宿命の如く選ぶことなどできはしないのだが、継いでみたところ、やはり肌に合わなかったと後悔する人間も少なくない。
美容師の親を持つ佐々木(仮名)という人間もまた、そのように親の職業を自分に迎合させることが難しかったひとりだ。
ある日、佐々木は幼なじみであった濱島に、「俺の代わりに美容師になってくれないか」と頼み込んだ。
突然の申し出に、「美容師なんて考えたこともない」と濱島は断った。
濱島が理由を聞くと、佐々木は高校卒業後、親の美容院を手伝うようになったものの、なんら興味のない美容の仕事を続けていけるのか不安なのだと言う。
「俺は美容師ってガラじゃないんだ。だからお前が代わりになってくれ」
佐々木は濱島と会うたびに、決まってそう言った。
佐々木がなぜこのように、美容師という道に濱島を誘ったのか、本当の理由は定かではない。
単純に自分の代わりが欲しかっただけなのかも知れないし、あるいは「美容師の資質」のようなものを濱島から感じ取っていたのかも知れない。
またある日のこと。
突然、若い男に「美容師さんですか?」と声をかけられた。
濱島が違うと答えると、「ぜひ美容師をやってみませんか?」と男は言う。
街を歩いていると、何度となくこういうことがあった。
《これは、俺に美容師をやれという啓示なのかもしれない》
念願のアパレル業界に入り、きちんとした職を得たという自負もあった濱島だったが、不況で先行きの不安を感じていたことも事実だった。
そこで、一度、話しだけ聞いてみても損はない、と佐々木を通して、ある美容師から話しを聞くことにしたのだ。
《その人は、岡崎のあいだでは異端児で、それはまあ有名な美容師さんでした。
そして美容師という職業が、いかに面白く素晴らしいものであるのかを、延々と私に説法するんです。
すると、話しを聞いているこちらも「そんなにいい仕事なのか」と次第に思えてくるようになりました。
そして家に帰る道すがら、私はいろいろ考えました。
どうやら美容師という職業は、クリエイティブなものなのかも知れない。
つまり、単純に髪を切るだけではなく、「髪の毛でものを表現する」と、アーティスティックな側面を発見したのです。
しかし、そう考えると同時に、私のなかで、そんなクリエイティブな仕事が出来るのだろうかという不安もありました。
それからは、何日も葛藤しました。
その結果、私は美容師をやってやろうと覚悟を決めたのです》
会社を辞めて、慌ただしく引っ越しを住ませ、すぐ岡崎に戻った。
名古屋に出てきてから一年が経っていた。